「何者か」になる

鴻上尚史 著「人生ってなんだ」(講談社+α新書)
ミラッキ 2026.02.15
誰でも

なりたい自分になれているか。「自己実現」できているか。

そう問われると「まったくわからない」と答えたくなる。

「放送作家」になりたかったわけではない。

これといった「就きたい職業」は子どもの頃からなかったので

小学校の「将来の夢」は、

「憧れのクイズ王・能勢一幸さんが勤めている」という理由一転で

「埼玉県庁職員」と書いた。今、もっとも遠い職業についている。

職業にとらわれず、どんな生き方をしたいか、というのも

そこまで深く考えたことがない。

「たくさん海外旅行をしたい」「〇〇という車を買って〇〇を走りたい」

「何歳までにこれをしたい」といった願望を持たずに生きてきた。

定時に帰ってくる公務員の父を見て

「18時には帰ってきて、19時から21時過ぎまでナイター中継を

 毎日見られる人生は、とても良いな」とは思った。今も思う。

しかし、そのようになっていない今の人生に不満があるかというと

まったくない。

結果自分は、何者にもなっていない。何者でもない。

なんだかよくわからないが、似たような人がいない。

似たような人がいないことは、

時に無人島以上に孤独を感じることがあるが、

これはこれで悪くないとも思う。

鴻上尚史さんの「人生ってなんだ」(講談社+α新書)

第4章は「何者かになることは“成功”なのか」というタイトルで

『自分が納得する「何者か」になることは、難しい』

 ということを書いていた。

これといった理想を持たない生き方をしてきた自分からすると

「だよね!」といったところだ。

「インターネット上で『豆腐は白い』って書くと『白くない豆腐もあります』
『白い豆腐が食べられない人もいるんですよ!』『私の豆腐は白くありませんが』 
『厳密に言うと薄いベージュです』『豆腐は黒くあるべきです』『豆腐信者乙』 
『豆腐主義者め』『豆腐とはおまえ自身だ』などのリプ(返信)がきます」
(まくるめさんのツイート)これは、インターネットの本質を的確に表現している。
手っ取り早く「何者か」になる方法。

21世紀は「 テレパシー」の時代になったと思う。

脳で思ったことが飛び出てタブレットに、スマホに出て、他者に伝わる。

もちろん、手を動かしているわけだが、その手の動きは止まらない。

もはや脳の一部として勝手に動き、SNSに放たれる。

脳と脳のぶつかり合いを毎日見ている。

自分はそのように思っていたのだけど、

鴻上さんがいうにはSNSでのやりとりは「何者か」になる方法とのこと。

「何者」であって「具体」である必要はない。名前がある必要もない。

「そこにお前がいる‐ここに俺がいる」ことが残る。

それが「何者か」になる、ということだろうか。

「何者化」によって充足感を得ることを目標にしていた人にとっては

「成功」と呼んでいいのかもしれない。

自分が納得する「何者か」になる

そもそも何かにならないといけないのか。

そこから離れる選択肢はないのか。

現代人は、誰でも自分の肥大した自意識を持て余している。メタボ化した自意識は、平凡であること、ただの人であること、敗北したままであることを許さない。

とも書いていた。

「ただの人であること、敗北したままであることを許さない」

これは資本主義と直結する。

もともとこの気質があったが、圧倒的に「ただの人」として

「ただの人」と共に過ごす時間が長かった20世紀と比べ、

「君達はなぜ戦わない?ほら、こんなに戦って勝っている人がいるんだよ?

 ちゃんと結果を出さないと!」と煽られているのがSNS時代。

『白くない豆腐もあります』

『白い豆腐が食べられない人もいるんですよ!』とポストしている人も

試合に巻き込まれて、手を出さざるを得なかった人とは言えないだろうか。

お笑いコンビ「たくろう」の赤木のように見える。

「人生ってなんだ」は

1994年10月12日から2021年5月26日号『週刊SPA!』〈扶桑社〉の連載

「ドン・キホーテのピアス」をベースとして、再構成・加筆修正をしたもの。

「人間ってなんだ」も同時発売されている。

四半世紀以上の連載は、それぞれの時代の証拠・証言であり、

形を変えて似たような課題に向き合っている私たちをあぶりだす。

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