「何者か」になる
なりたい自分になれているか。「自己実現」できているか。
そう問われると「まったくわからない」と答えたくなる。
「放送作家」になりたかったわけではない。
これといった「就きたい職業」は子どもの頃からなかったので
小学校の「将来の夢」は、
「憧れのクイズ王・能勢一幸さんが勤めている」という理由一転で
「埼玉県庁職員」と書いた。今、もっとも遠い職業についている。
職業にとらわれず、どんな生き方をしたいか、というのも
そこまで深く考えたことがない。
「たくさん海外旅行をしたい」「〇〇という車を買って〇〇を走りたい」
「何歳までにこれをしたい」といった願望を持たずに生きてきた。
定時に帰ってくる公務員の父を見て
「18時には帰ってきて、19時から21時過ぎまでナイター中継を
毎日見られる人生は、とても良いな」とは思った。今も思う。
しかし、そのようになっていない今の人生に不満があるかというと
まったくない。
結果自分は、何者にもなっていない。何者でもない。
なんだかよくわからないが、似たような人がいない。
似たような人がいないことは、
時に無人島以上に孤独を感じることがあるが、
これはこれで悪くないとも思う。
鴻上尚史さんの「人生ってなんだ」(講談社+α新書)
第4章は「何者かになることは“成功”なのか」というタイトルで
『自分が納得する「何者か」になることは、難しい』
ということを書いていた。
これといった理想を持たない生き方をしてきた自分からすると
「だよね!」といったところだ。
「インターネット上で『豆腐は白い』って書くと『白くない豆腐もあります』
『白い豆腐が食べられない人もいるんですよ!』『私の豆腐は白くありませんが』
『厳密に言うと薄いベージュです』『豆腐は黒くあるべきです』『豆腐信者乙』
『豆腐主義者め』『豆腐とはおまえ自身だ』などのリプ(返信)がきます」
(まくるめさんのツイート)これは、インターネットの本質を的確に表現している。
手っ取り早く「何者か」になる方法。
21世紀は「 テレパシー」の時代になったと思う。
脳で思ったことが飛び出てタブレットに、スマホに出て、他者に伝わる。
もちろん、手を動かしているわけだが、その手の動きは止まらない。
もはや脳の一部として勝手に動き、SNSに放たれる。
脳と脳のぶつかり合いを毎日見ている。
自分はそのように思っていたのだけど、
鴻上さんがいうにはSNSでのやりとりは「何者か」になる方法とのこと。
「何者」であって「具体」である必要はない。名前がある必要もない。
「そこにお前がいる‐ここに俺がいる」ことが残る。
それが「何者か」になる、ということだろうか。
「何者化」によって充足感を得ることを目標にしていた人にとっては
「成功」と呼んでいいのかもしれない。
自分が納得する「何者か」になる
そもそも何かにならないといけないのか。
そこから離れる選択肢はないのか。
現代人は、誰でも自分の肥大した自意識を持て余している。メタボ化した自意識は、平凡であること、ただの人であること、敗北したままであることを許さない。
とも書いていた。
「ただの人であること、敗北したままであることを許さない」
これは資本主義と直結する。
もともとこの気質があったが、圧倒的に「ただの人」として
「ただの人」と共に過ごす時間が長かった20世紀と比べ、
「君達はなぜ戦わない?ほら、こんなに戦って勝っている人がいるんだよ?
ちゃんと結果を出さないと!」と煽られているのがSNS時代。
『白くない豆腐もあります』
『白い豆腐が食べられない人もいるんですよ!』とポストしている人も
試合に巻き込まれて、手を出さざるを得なかった人とは言えないだろうか。
お笑いコンビ「たくろう」の赤木のように見える。
「人生ってなんだ」は
1994年10月12日から2021年5月26日号『週刊SPA!』〈扶桑社〉の連載
「ドン・キホーテのピアス」をベースとして、再構成・加筆修正をしたもの。
「人間ってなんだ」も同時発売されている。
四半世紀以上の連載は、それぞれの時代の証拠・証言であり、
形を変えて似たような課題に向き合っている私たちをあぶりだす。
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