ぴえんのまなざし

佐々木チワワ 著『「ぴえん」という病 SNS世代の消費と承認』
ミラッキ 2026.02.18
誰でも

毎年、新しい日本語が生まれる。

たとえば、もはやちょっと懐かしさも覚える単語

「ぴえん」

『「ぴえん」という病 SNS世代の消費と承認』の著者、

佐々木チワワさんによると

「今日ぴえんに会った」(意味:今日メンヘラに会った)、
「好きピに会えなくて、まじぴえんだった」(意味:好きな人に会えなくて悲しかった)というように、使われる文脈によって意味が変化する

とのこと。

このように、由来が擬音語なのか擬態語なのかすらわからない新語もあれば

もともとあった言葉が変化した新語もある。

たとえば「まなざし」という名詞を動詞化した

「まなざす」

そしてこれが受け身の表現になった

「まなざされる」

この2つでは、どちらかというと「まなざされる」のほうが使われている。

最初に聴いた時は「意味はわかるが、なんとなく……どうなんだろう」

「見られる……ではニュアンスが伝わらないし、

 眺められるというのも伝わらないか」など、

いろいろ思うところがあった。

「見える化」をはじめて聴いた時

「いや”可視化”でいいだろう、耳ではたしかにわかりづらいけど」

と思ったのと同じような感触だった。

前掲書の『「ぴえん」という病 SNS世代の消費と承認』の6章では

『現在の日本は誰もが「まなざしの地獄」に晒されている』

という印象的な一文が出てくる。これについて佐々木さんは

「いいね!」や「フォロワー数」という数字に自分自身の価値を委ねがちであり、
 数字が減ると自分の価値が減ったように感じる。
 他者からの「まなざし」を受けるようになった近代都市の価値観がSNSによって
 全国的に伝播した。
・今や、どこに住んでいてもネットさえつながっていれば、都市のまなざしの対象下
・「個人」がSNSによって視覚的に可視化され、数字やコメント内容で評価、
 序列化することが可能になった
・ 意見や価値観、外見、その外見を使って表現するものすべてが消費対象であり、
 「推されるアイデンティティを確立できているか」という
 他者からのまなざしを受けての思考に支配されている

と分析している。

「まなざしの地獄」なくして「まなざされる」は生まれなかった日本語ではないか。

「誰に見られることもなく鼻をほじって

 明日の事を考えたり、考えなかったりしていたあの頃」は

強烈に意識しないと取り戻せない。

このニュースレターですら「まなざし」

「まなざされること」を意識して書いている。

まなざされることを意識するあまり、

思ってもいない行動をしたり発言をしたりする。

それで、大きな評価・評判を得てしまうと、

成功報酬から逃れられなくなる。

最初は「思ってもいない行動・発言」だったが

「その行動・発言をする自分」に飲み込まれていく。

これは何も若者に限った問題ではない。

「まなざされない人生を過ごしている人」には

SNSで出会えない。

「まなざしの地獄」から抜け出す一歩目はきっと

「まなざされない人生を過ごしている人探し」。

案外、その一歩を踏み出すだけで、

実質、地獄から抜け出したようなものなのかもしれない。

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